コンプライアンス・アドバイザーの休日

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zoom RSS 日本人のコンプライアンス意識(1)

<<   作成日時 : 2012/04/22 23:09   >>

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コンプライアンス・アドバイザー 岡本展幸(おかもと ひろゆき)

日本国内において「コンプライアンス」という言葉が、新聞やテレビなどのマスコミを通じ一般社会で耳目を集めはじめたのは、1999年に金融監督庁(現在の金融庁)が最初の検査マニュアルを公表し、銀行に対してコンプライアンス検査を開始した頃である。

それから10年以上の月日が発つものの、新聞、テレビ等では、コンプライアンス違反の報道が後を絶たない。オリンパスの粉飾決算事件、大王製紙不正融資事件、AIJ投資顧問による企業年金消失事件、旧中央三井アセット信託銀行の増資インサイダー事件、SMBC日興証券増資情報不正株勧誘事件等々と最近の事例は、誰が考えても明らかに不正行為といえる内容のものだ。コンプライアンス違反と、特別な外来語を使用する必要もない。

「コンプライアンス遵守」とは、法令遵守を前提に、社会規範や各企業の企業理念を遵守することも含む概念である。ところが、最近のコンプライアンス違反と言われる事件では、コンプライアンスの基本的概念である「法を守る」とか「企業倫理を守る」という段階以前の「何が善で、何が悪か」という中学生や高校生ですら判断可能な次元での不祥事が繰り返されている。

そして、これらの事件をコンプライアンス違反と見做し、今後の改善策として、各関連企業におけるコンプライアンス体制の改善事項を第三者委員会や社内の管理委員会が指摘し、それをもとに不正行為を起こした各企業が具体的な業務改善策を作成して金融庁宛てに提出し、その改善内容を厳格に実施していく、という一連の手続きが行われていくシナリオはいつも通りである。

しかし、それでは根本的な問題は解決されなまい。同じような事件や不正行為がまた、日本の企業で起こる可能性が高い。つまり、問題の本質はもっと根深く、また複雑であり、日本企業や日本社会に共通した要因がこれらの不祥事には通底しているように思われるのである。

日本の法典の多くは米・独・仏の三カ国など西欧諸国から継受したものがほとんどであると言われている。明治維新以来の「近代化」という国家目標により、日本は西欧型の法化社会へと突き進んだため、自己の利益を中庸と謙譲の精神で抑制し、まわりとの調和を第一に考えようとする日本人の伝統的法意識などは十分に反映されたものではなかったと当時の史実が語っている。

日本では自己権利を主張する者は、秩序を乱す者として周りから敬遠、排除され、村八分にされる風潮が今でも社会や企業内に残されている。また、人間関係をうまく保つために、まわりの人たちとうまくやっていくことを個人の権利主張よりも優先するという空気が、いまだ日本企業の多くには残存している。

日本社会では紛争の解決方法としては、法に訴えるという手段ではなく、組織の長や地域の市村長などのお上の権威に頼る傾向がことさら一部の地域社会では根強い。つまり、当事者双方に対する白黒をつけず、水戸黄門や遠山の金さんに見られるような「喧嘩両成敗」的な穏便な人情味ある解決方法に頼る傾向がある。

一方、アメリカをはじめ西洋社会では、各国間で程度の差こそあれ、彼らは第三者との対立に対する解決策としては、法に訴え自らの権利をオープンに主張し、相手の誤りを指摘する方法を採択する。日本社会には今でも時折みられる、「義理」や「人情」といった非論理的な判断基準が入り込む余地はない側面を有している。

日本は法制面では西欧化が進んだものの、上述したような日本人の伝統的法意識が相変わらず部分的に残存し、日本社会の行動様式に大きな影響を与えている。そのため、法制度と実生活の間に「ずれ」が生じてしまい、グローバル時代の到来とともに、その「ずれ」がますます肥大化して、法令違反など不祥事を誘発しているように思われるのである

繰り返しになるが、「コンプライアンス遵守」は、単なる「法令遵守」だけの範囲にとどまらず、社会規範や各企業の企業倫理を遵守することも含む、広範で重畳的な概念である。

前者の「法令遵守」は、「法に従う、法を守る」という意味として日本国内に限らず、国際間でも共通した概念である。とりわけ、経済のグローバル化が急速に進展するに伴い、法に対する日本人の認識や意識もグローバルな見地から判断され、時として批判される機会が急増している。オリンパスのコーポレート・ガバナンスに対する海外からの批判は好例である。

日本人の法意識とは、法に対する日本人の意識であり、「法に従うか否か、法を守るか否か」という法に対する日本人の行動様式に大きな影響を与える。
その結果、日本人のコンプライアンス遵守に対する対応や判断にも大きな影響を与えることになる。

ところが、法というものは、本来、言語、宗教、道徳、経済などと同様に、国家における文化の一側面であるにもかかわらず、我が国の法典の多くは百年以上も前に米・独・仏の三各国から継受したものがほとんどである。明治政府は、主にドイツとフランスの法典を模倣して基礎的法典を策定したと言われている。大戦後においては、米軍占領下という事情もあり、アメリカ法からの継受という側面が大きかったようである。

このような歴史的な背景の中で構築されてきた我が国の法は、その基本的な観念や論理・思想において著しく西洋おびた内容になってしまっているのは想像に難くない。そして新たな法を西洋から継受するという判断も、列強国との不平等条約の解消というはなはだ政治的な判断に基づいているとすれば、日本の一般市民の法意識や倫理観とは異なる内容のものを当時の日本の実情ともそぐわない形で日本の法体系の中に埋め込んでいったことになる。

近代化を急いだといえば、物事の一面だけを見て物事の本質を見失うことになる。当時の明治政府の策定した近代法典の体系と現実の国民生活との間には大きなずれがあることをいち早く指摘したのは、民法と法社会学の権威である川島武宜であった。

川島は、『日本人の法意識』(1967年)で次のような趣旨をのべている。
1.日本の法典は西洋的であった。
2.法典と一般の国民生活の間にはギャップがある
3.日本人には、伝統的に「権利」の観念がない
4.日本人には、一般的に、遵法精神が欠けている
5.日本人には、所有権に対する意識が薄い
6.日本人には、契約の拘束力に対する意識が弱い
7.日本人は訴訟を嫌う傾向がある
8.日本人は、争いを調停あるいは仲裁によって解決する傾向がある
9.日本人の法意識は、日本社会が近代化することによって、「近代的」になっていくだろう
 

 その後も内外の有力な比較法学者たちにより、西洋法と極東法の違いは、西洋における法治主義、法の賛美、法律家に対する尊信、裁判による紛争解決に対し、極東における徳治主義、法と法律家にたいする不信、調停による紛争の解消、とされてきた。

また、西洋においては「権利のための闘争」が美徳とされ、極東では中庸、謙譲、平和的和解が人間の基本的徳性とみなされている旨、喧伝されてきた。

しかし、一方でそれに異論を唱える法学者も現れている。(続)


(参考文献)
川島武宜『日本人の法意識』、
青木人志『「大岡裁き」の法意識―西洋法と日本人』
大木雅夫『日本人の法観念―西洋的法観念との比較』
中川剛『日本人の法感覚』

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