コンプライアンス・アドバイザーの休日

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zoom RSS IT革命は、知的空間をどう変えるのか?

<<   作成日時 : 2012/05/12 16:00   >>

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コンプライアンス・アドバイザー 岡本展幸(おかもと ひろゆき)

 IT革命が叫ばれて久しい。PC、 iPhone、iPadに象徴されるように、ここ10年、いやここ数年における電子情報技術に関連した変革のスピードや内容は、まさに革命といえるものだ。

 さて、知的空間(「知的生活」というと、やや古典的な匂いがしてきてしまう。)といえば、本があり、ペンがあり、ノートがあった。「あった」というのは、それが過去の存在になりつつある様相を呈しはじめているからである。

 もちろん、それらがすべてこの世から無くなってしまうわけではないだろうが、それらに代替可能な「モノ」が出現しつつあるからだ。

 まず、ペンとノートに代わる「モノ」として、パソコン(PC)がある。キーの打ち方さえ覚えてしまえば、ペンで書くより便利だ。忘れた漢字も候補の漢字群の中から選べば良いし、書いた文字の消去、修正も簡単に綺麗にできる。それにいくらでも一度書いた文章の修正や組み換えが瞬時に可能だ。

 そして、「電子書籍」なるものが出現しつつある。タダ同然にして、芥川龍之介も夏目漱石も太宰治も、そして、ドストエフスキー、カフカも自分な好きな時に、好きな所で、好きなだけ味わうことができるようになったのだ。英語による書籍もしかりである。

 従来、手の指で本の紙質を触感し、本のページをめくるごとに、時折ほのかに立ち上がり、臭覚を刺激する本特異なインクの匂いや、かすかに聞こえてくような本の旧所有者たちの囁きなど、といった年寄りの化石化したノスタルジーとは無縁の印字の世界が、PCやiPadのスクリーン上に「電子書籍」を通じて広大に展開されてくる。手のひらに載る小さなiPhoneでさえ、同様なことができる。

 このさい年寄りにつきものの、目の疲れや肩こりなどのぼやきは、とりあえずここではわきに置いておくことにしよう。

 電子書籍化されている書物の数は、とりわけ日本では、まだ限界があると言われるものの、日本とてほとんどの書物や学術論文が電子書籍化されるのは時間の問題と考えたほうが現実的だ。そう考えると明らかに我々の知的空間が大きく変わろうとしていることに間違いないだろう。
 
 このような大きな変革を肯定的に捉えれば、知的空間における我々の作業が格段に簡素化し、また、高度に能率化できる可能性が増幅しつつあると言えるだろう。それに伴い、我々の知の創造も知の集積も過去にない速さで達成できるのかも知れない。

 最近、私は自分の身をもって、その実験を始めている。とは言うものの、今書いているこの原稿の素案は、手触りのよい黒皮の表紙で包まれた年代が古いダイアリー・ブックに、ドイツ製のラミーの万年筆で書いたものだ。
  

 どうも少なくとも私の場合には、何かまとまったものを書こう、書きたいとする時は、まず、テーマが突然、頭に閃き、それから、わずかな泉が山の斜面から少しずつ湧き出て地面を這っていくように、テーマに関連した言葉がひとつ、ふたつと頭の中に湧き出てくる。

 その湧水が何処かに流れ出て地面に吸い込まれて姿を消さない前に、そして、そのわずかな湧水をこぼさないように、注意深く少しずつすくい上げていくには、PCやiPadが起動に要する数分の時間さえも許してしまうと、湧水はたちどころに何処かへ吸い込まれ、蒸発してしまうのだ。

 この一連のプロセス、つまり、テーマが閃いたらすぐにPCかiPadのキーボードに向かい、繊細に滲み出てくる湧水を両手ですくい上げるようにして、テーマに関連した思考の言の葉を一つ一つ素早くキーボードへと打ち込みながら、体系立ったなだらかな「言葉の流れ」に落とし込んでいくという一連の作業をデジタル化するのが私の実験である。

 自分に課したIT実験がうまく進んでいないのを良いことに、ふと、以前に読んだ本の一説を思い出した。少し長くなるが、該当箇所を引用してみる。

  「漢字文化の中で育った人間は、タイプ入力と仮名漢字変換に頼りすぎると漢字が書けなくなり書くことを通じて思考する力が減退する危険にも直面しています。

 (中略、筆者)漢字は有意の偏旁冠脚の組み合わせを劃することで形と意味とを作ります。つまり、書くことは形による意味形成という思考を常に要求します。ところがキー入力による仮名漢字変換では、この形=意味の形成作用を働かせることがありません。当然、漢字の書記能力が落ちてきます。漢字を書くという作業は深い思考作用を促します。こういう理由で本書第1章では、読書ノートをつけるときには手で書くことを薦めています。」
(佐良木 昌『Wordを使った大学生のための論文作成術』)

 
 書家で京都精華大学教授の石川 九楊は、同じようなことを述べている。
『アルファベットからなる音声言語である欧米の言葉はワープロに転換し  
たところでさほど問題はないが、日本語や中国語は漢字を直接打ち込めず、筆触を伴う「書く」行為の代用にはならない。それがわかっていないから混乱が生じる。』平成24年5月2日付日本経済新聞(夕刊)

 高度な情報処理能力を備えた革命的電子機器は、基本的には、アルファベット文化に基づくタイプ入力を前提に設計されている。そんな舶来品の機能が、漢字文化の中に生まれ、育った人間に対しては、身体機能のどこかで不具合をもたらすのは大いにあり得ることだ。

 そんな不都合があるからと言って、漢字文化人の我々は昔に逆戻りして、手書きの通信手段や紙製の書物だけに頼るのは現実的な解決策とはならない。ここは、佐良木も学生たちに薦めているように、タイプ入力と手書きを併用してみるのが現在のところ最善策だろう。

 そう考えると、最近、私の漢字に対する書記能力が落ちているは歳のせいではなく、自分のITリタラシー(IT駆使能力)が高くなったことが原因とも言える。また、日本人である私の思考能力の維持・育成には、黒皮のダイアリーとラミーの万年筆が功を奏しているのかも知れない。
(了)

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