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zoom RSS 人は、何故、社会人になると小説を読まなくなるのか?

<<   作成日時 : 2014/08/25 15:59   >>

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コンプライアンス・アドバイザー  岡本展幸

 
(1)社会人は、忙しいから小説を読まなくなるのか?
 良く言われることである。ここでは、標題に対しては科学的なデータに基づいた命題ではないことを最初にお断りしておく。第一、そのようなデータは手許に持ち合わせていないのである。だから、標題は、「何故、私は社会人になって小説を読まなくなったのか?」、あるいは「何故、私は社会人になって小説を読めなくなったのか?」と置き換えても良い、と知的で論理的で科学的な話を期待する読者には、事前に「防波堤」を張って自己弁護しておくことにする。

 さて、「人は、何故、社会人になると小説を読まなくなるのか?」という問いに対して、多くの人が気軽に思いこんでいる答は、社会に出たら仕事が忙しくて小説など読んでいられないから、ということだろう。

 半分は合っているようだが、最近、どうも納得がいかない気がしてきたのである。もう少し、別の側面から考えてみたくなってきたのだ。そんな気がしてきたのは、自由気ままに使える時間が近ごろ筆者に少し増えてきたことが要因の一つである。

 社会に出て会社に入れば仕事に追われて忙しくなり、自由な時間も減り、身体も疲れる。帰宅した後は、テレビをつけて、寝ころがりながらビールでも一杯、というのが一番、自然で健全な誰でも納得してしまいそうな社会人(ビジネス・パーソン)生活のパターンだ。

 しかし、そんな「カウチポテト族」的な社会人の中にも、多くの仕事関連の「本」を読む者は少なくない。いわゆる、高度な知的武装が要求される専門職につき、グローバルに展開する経済・金融動向を注視したり、日進月歩のIT技術にキャッチアップする必要に迫られるために、日々、帰宅後も専門書や経済誌に目を通す人たちだ。

 そのように多くの専門書等を毎日、読む人たちでさえ、「小説」を読む人はかなり限られてしまうのでないだろうか。

 それでは、何故?ここでは、「小説は仕事には直接関係しないし、忙しいから」という理由はわきに置いて、別な角度から考えてみたいのである。


(2)小説と専門書の読み方の姿勢は異なる
 両者の間では読み方が違うのである。「小説」と「専門書」両者間における読書においては、「読み方の姿勢」が本質的に異なるのである。「読み方の姿勢」が違うので、長らく専門書を読む「姿勢」をしていると、小説を読む「姿勢」をとることがだんだんと億劫になり、しまいには、そのような「姿勢」を取れなくなってしまうのだ。

ここで、読者のために「読み方の姿勢」について説明をしないといけない。
以下、石原千秋『未来形の読書術』を参考にしながら、筆者の読書経験をもとに説明内容を構成していくことにする。

 まず、われわれが小説を読む場合には、内容について自分の好き勝手に解釈し、自由に想像力を働かせながらのびのびと読むことができる。小説の読者は書いていることはホントのことだと思わなくても良いことになっている(石原・前掲書、下線、筆者)。

 一方、専門書を読む場合には、内容について自分の好き勝手に解釈したり、自由に想像力を働かせながら読むことはできない。ただひたすら、本に書かれた内容を理解しようと筆者の表現や考え方に拘束され、自由にはなれない。専門書に書かれたことはホントのことという前提に立った読み方である。

 石原によると、文学理論では、読書という行為について考える理論を「受容理論」と呼ぶらしい。そして前掲書の中で、大橋洋一『新文学入門』から次の説明文を引用している。

 「受容理論の観点からみると(中略)、読者とは、限られた情報から全体像(ゲシユタルト)をつくりあげること。これを読者と作者の関係からいうと、読者は作者からヒントをもらって、自分なりに全体像をつくりあげるといっていいかもしれません。」

 上記の理論からも、小説を読む姿勢は、読者が自由に自分の想像力をはたらかせながら内容を追う姿勢であることがわかる。それは、同時に想像力をはたらかさなければ機能しない「能動的な読み方」である。

 それに対し、専門書を読む姿勢は、自分の意見を押さえ、ただひたすら作者からの教えを乞うように、論理的な内容の展開を追う知的作業である。これは、あきらかに、小説を読む姿勢とは異なる「受動的な読み方」である。それぞれ人間の頭脳に要求される部分が異なる。


(3)社会人が小説を読まない理由
  ここで最終結論を導くためには、さらに大脳生理学や心理学などの分野から関連した理論や学説などを引っ張り出しながら検証することが必要とされるのだろうが、本稿は科学論文ではないので、そこまでの期待はしないでほしい。

したがって、上述した内容から安易に筆者自身の結論へと飛んでしまうことにする。

 つまり、社会人の多くは仕事に関連した専門書や経済誌などは社会に出てからも目を通しているものの、優先順位からして、「小説」は読んでいない。

 専門書の読み方は、想像力を駆使することを許さない「受け身の読書」だ。
このような読書を長年続けていくと、途中で「小説」を読もうとしても、それに必要な「能動的な読書頭脳」の働きが劣化しているため相当な苦痛を伴い、拒否反応さえ出てくる。その結果、多くの社会人は、(そのままだと!)ますます、「小説」からは遠ざかり、同時に、想像力も創造力も劣化した人種へと移行していく道を辿ることになる。

 やはり、標題は「何故、私は社会人になってから小説を読まなくなったのか?」に変更すべきであろうか。

(了)

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