日本語化した英語(カタカナ英語)に潜むコミュニケーション・リスク

コンプライアンス・アドバイザー 岡本展幸

最近、新聞や雑誌等を読んでいると片仮名書きの外来語の氾濫とも呼ぶべき、その量と新たな言葉の連続に圧倒されそうになる。日本は歴史的にみても、明治時代の近代化政策に基づき急速に西欧の学問や文化を取り入れてきた経緯がある。また、近年、経済のグローバル化やIT革命の大きな時代の流れが更に拍車をかけ、新たな知識や技術の発明に係る専門用語や思想は、概念上の吟味なしで、適切な日本語に置き換えられる間もなく、西洋に由来する概念をそのまま片仮名書きにして日本語の文脈や言語空間に流入し続けている。

もうすでに日本語化している英語圏からの「外来語」について、最所フミ編著『日英表現辞典』及び『英語類義語辞典』筑摩書房を参考にしながら、その潜在的なコミュニケーション・リスクを検討してみたいと思う。まず、“naive”(ナイーブ)という外来語である。「彼は、ナイーブな男だ。」とか使われ、我々普通の日本人どうしの会話で、なかば日本語として使用されている。その意味するところは、決して悪口ではなく、むしろ「素朴な、純真な男」といった誉め言葉として使用するのが普通だ。「ナイーブ」とそのままの発音でほぼ「英語」の“naive”と相手にも聞こえ、そのように理解され得るので、我々日本人が英米人(外国人)を相手に英語で話す時にも「素朴な、純真な」といった良い意味で“naive”という英語を使いがちである。

 国語辞典(スーパー大辞林)によれば、その意味は【naive】と英語の綴りとともに、「純真なさま。また、物事に感じやすいさま。素朴。」と載っているので、多くの日本人は日本人どうしで話す時に使用する「ナイーブ」=「素朴な」といった意味合いが頭に擦り込まれている。そのため、英語本来の“naive”に対する語感が鈍くなってしまっているか、或いは、“naive”に対する英語の正確な意味を知らないにもかかわらず、日本語の「ナイーブ」と同じ意味と思い込んでいる。そのため、英米人(外国人)相手にも平気で、“You are a naive person.”と臆面もなく、誉めたつもりで言ってしまう。これは、“You are a fool.”という悪口になるので、喧嘩でもする時でもない限り、決して言ってはならない悪口である。

 更に、我々日本人にとり、英米人と英語で話す際に、コミュニケーション・リスクになり得る言葉は、“mind”(マインド)、と“heart”(ハート)である。「彼は、マインドが良い。」、「彼には、ハートがある。」どちらも、普通に日本人同士の日常会話で出てくる文章である。その際の意味するところは、前者が「彼は性格が良い。」、後者は「彼には、心に伝わるもの(暖かさ)がある。」といった意味であろうか。同国語辞典にも、「マインド【mind】:
心。精神。」、「ハート【heart】:①心臓。②心。また、思いやりの感情。③トランプのカードの種類の一。心臓の形を赤でかたどったもの。」とされている。

何れにしても、”mind”(マインド)、も“heart”(ハート)も原語の英語の発音とほぼ同じように「マインド」、「ハート」と発話され、カタカナにより音写されることによって「日本語化」され、いつの間にか本来の日本語(母語)の語彙集団に溶け込んでしまっている言葉である。また、 “naive”も同様である。

 “mind”という言葉は、感覚や感情とは対照的な言葉で「知性」とか「脳」のことである。次の例文でニュアンスが掴める。“He had a fine mind, and it just had to be directed properly, she thought.” 「彼はなかなか頭の良い青年なのだから、良い方向に導いてやらなければならない。」また、日本語では“mind”を「こころ」と訳すところから、“mind”と“spirit”の使い方を混同しがちである。日本語の「こころ」にはさまざまな意味があるので、“spirit”も「こころ」となる。ところが、「あの人は心がいい」は、英語で言うと、 “He is good-hearted.”となる。

「彼女に心を奪われた。」は、 “She stole my heart.”だし、「こころから悪いと思っています。」は、 “I am sorry from the bottom of my heart.”となる(松本道弘『難訳・和英口語辞典』、『難訳・和英語感辞典』さくら舎)。

日本語の「こころ」は、“spirit”と“heart”を兼用するが知性の意味は余り含まないようだ。一方、英語の “mind”は理性を司り、対照的に “heart”は情感を司る。したがって、‟He has a good mind.”とは「彼は頭脳明晰だ」という意味になり、「彼は善意の人だ」という意味はない。一方、“spirit”の対象語は “body”である。つまり、“spirit”は「精神」であり、「霊」という意味になる。 “His spirit is good, but his behavior does not catch up with it.”(彼の精神は立派だが行動がそれに伴わない。)

最後に“heart”と “mind”の微妙なニュアンスから発生した日本と海外(東南アジア)とのコミュニケーション・ギャップの一例を、松本道弘『英語で迫るー私のインタビュー作法』 “Origins of Japanese Uniqueness” Interview with Gregory Clark(朝日イーブニング社、1980.8.1)からあげる。かつて当時の福田首相が東南アジアを歴訪した時に、「心と心の触れ合い」という日本的なスローガンを掲げたところ、 “heart-to-heart contact”と訳されて悪印象を与えたとのことである。同インタビューの中で松本氏の相手のクラーク氏は、
“You see for us heart to heart is something that goes on between very intimate friends.” としたうえ、心と心の触れ合い」という日本語の訳は、“heart-to-heart contact”ではなく、 “Well, in English, our equivalent is, “mind-to-mind.”と言うべきであった旨述べている。少なくとも当時において、日本と東南アジア諸国との関係は決して “intimate”ではなかった状況を前提に話している。つまり、日本(人)の東南アジア諸国に対する、相手の立場に立っていない感情的な現状認識の甘さが非難されたのだ。

さらに、クラーク氏(オックスフォード大学卒、当時上智大学外国語学部教授)は非日本人ならではの、次のような鋭い指摘をしている。少し長くなるが引用してみる。文頭の “He“とは福田首相のことだ。
“He said, “I’m going off to Southeast Asia to have a meeting of minds with the Southeast Asian leaders,” everybody would’ve said, “Ah, that’s a nice expression.” In other words, we see the focus of the relationships as basically an intellectual exercise, whereas for the Japanese, focus of the relationships is an emotional thing, is a heart to heart thing, and that is why…”

今、読み返しても日本の英語教育キャリキュラムでは学べない鋭い指摘である。外国語の学習とは単なる言葉の置き換えではなく、異文化間の理解を基礎にしたコミュニケーションの学習であることを痛感させられるクラーク氏の発言である。
望むと望まざるにかかわらず、急速なグローバル化の影響で、日本と海外との往来、関連性、一体化は深まるばかりである。それに伴い日本における英語(会話)ブームの波は、時を変えて幾度も押し寄せてくる。日本人にとっての英語マスターの秘訣はあるのだろうか?あるとしたら、戦後、日本の英語教育会の重鎮であられた松本亨先生の次の言葉に集約されているだろう。“Listen more, speak less. Read more, write less.” (了)









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